Kana Miyaura Kana Miyaura

「静けさとノイズのあいだで、創造は生まれる。」

しばらくブログを更新していなかった。

書く気が起きなかった——というより、「頭の中がうるさすぎた」からだ。

ノイズは創造をかき消す。

でも、完全な静けさも、創造を甘やかす。

「ノイズは邪魔だけど、完全な静けさもまた危うい」**って、そのバランス感覚こそクリエイターの矛盾であり、真実。

この“あいだ”に、私はいつも立っている。

●ノイズ=人間関係/環境音/エネルギー的な違和感●

  • 静けさ=自分と繋がれる時間/内省できる余白

  • でも静かすぎると、何も生まれない

  • 適度な“不安定さ”こそ、創造の起爆剤だった

    安定は、安心をくれる。

でも創造に必要なのは、少しの違和感と、少しの興奮だ。

だからまた今日から、ここ(ブログ)に戻ってきてみる。

ノイズに飲まれないように。

静けさに眠らされないように。

「あいだ」にいる自分を、書き残すために。

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Kana Miyaura Kana Miyaura

表現者の心が詰まった時、どう整えるか?

ノイズの膿を出し切った。

私は違和感を感じ、

そこに何があるんだと自問自答するところから始める。

昨日の疲れ。

ノイズの嵐。

私の魂は疲れ果てた。

睡眠時間を大幅に2時間プラスしたけれども、

どうにもこうにもいかない。

動画編集もある。

個人のインスタではない、運営しているアカウントの投稿もうまくいかない。

今日のTikTok投稿も、どれを上げていいのか理解できない朝。

しかし、どうしてもこの感覚——

“嫌な感じ”を、外に出したい。

なぜ私はノイズにやられたのか。

分析した。

それでも気が済まない。

そこで私は、偉人たちの作品を眺めることにした。

昭和時代の、アングラ時代に繋がった。

大学時代、日本人として

日本の写真家・細江英公氏のプレゼンをした。

そこから分析が始まり、

またアングラ文化と接続される。

そして感じた。

あの時代の、重く、暗く、気持ちの悪い文化。

天気がいい日に、布団を干す。

しかし実際は、雨雲で湿度の高い天気。

それでも干している自分。

——全て妄想。

そのイメージができた瞬間、

昨日のノイズは消えた。

私は杉並区に住んでいる。

唐組のフライヤーを何度も目にしてきた。

紙質はいい。

けれど、そこには切なさと焦燥感が漂う。

赤いテントの先には何かあるかもしれない。

そう思ったけれど——

やっぱり、私には必要ないと知った。

この一連のプロセスは、

“葛藤のプロセス”であり、

“表現のための通過道”だった。

ノイズが入ったとき、

いまの私に一番必要だった対処法。

それが、この一連の流れだった。

昼下がり。

風は静かに吹いている。

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