表現者の心が詰まった時、どう整えるか?
ノイズの膿を出し切った。
私は違和感を感じ、
そこに何があるんだと自問自答するところから始める。
昨日の疲れ。
ノイズの嵐。
私の魂は疲れ果てた。
睡眠時間を大幅に2時間プラスしたけれども、
どうにもこうにもいかない。
動画編集もある。
個人のインスタではない、運営しているアカウントの投稿もうまくいかない。
今日のTikTok投稿も、どれを上げていいのか理解できない朝。
しかし、どうしてもこの感覚——
“嫌な感じ”を、外に出したい。
なぜ私はノイズにやられたのか。
分析した。
それでも気が済まない。
そこで私は、偉人たちの作品を眺めることにした。
昭和時代の、アングラ時代に繋がった。
大学時代、日本人として
日本の写真家・細江英公氏のプレゼンをした。
そこから分析が始まり、
またアングラ文化と接続される。
そして感じた。
あの時代の、重く、暗く、気持ちの悪い文化。
天気がいい日に、布団を干す。
しかし実際は、雨雲で湿度の高い天気。
それでも干している自分。
——全て妄想。
そのイメージができた瞬間、
昨日のノイズは消えた。
私は杉並区に住んでいる。
唐組のフライヤーを何度も目にしてきた。
紙質はいい。
けれど、そこには切なさと焦燥感が漂う。
赤いテントの先には何かあるかもしれない。
そう思ったけれど——
やっぱり、私には必要ないと知った。
この一連のプロセスは、
“葛藤のプロセス”であり、
“表現のための通過道”だった。
ノイズが入ったとき、
いまの私に一番必要だった対処法。
それが、この一連の流れだった。
昼下がり。
風は静かに吹いている。